2020年1月10日 / 最終更新日 : 2020年6月19日 itcom501 I Love Suge Town菅野戸呂9 稲田堤桜の碑【16】 菅村の有志が発起人となり結成された稲田堤桜樹保存会は、明治31年(1898)に多摩川の堤防を強固なものにするため日清戦争勝利を記念して、中野島境から矢野口に至る約1.8kmの堤に251本の桜の苗木を植え、神奈川県に寄付し […]
2020年1月3日 / 最終更新日 : 2020年6月19日 itcom501 I Love Suge Town菅野戸呂8 のらぼう菜【15】 春の味として地元では昔から親しまれてきた「のらぼう菜」は、菜花に似た独特の甘みと香りが特徴の野菜で種からは食用油が採取できます。 「のらぼう保存会」(高橋孝次会長)が普及に努め、現在では各地で生産され川崎市の農産物ブラン […]
2019年12月27日 / 最終更新日 : 2020年6月19日 itcom501 I Love Suge Town菅野戸呂7 野戸呂稲荷【14】 お稲荷さんは元来は田の神様で、農業の守り神と信じられ農村を中心に信仰されていましたが、色々な産業や商業が発展すると、家業や商売の神として広まって行きます。 菅村には文化13年(1816)に、三つのお稲荷さんがあったといい […]
2019年12月20日 / 最終更新日 : 2020年6月19日 itcom501 I Love Suge Town菅野戸呂6 菅のさく井【13】 この建物の中にはさく井(井戸)があり川崎市の水道水源の一部になっていました。きれいな地下水を直径6m、深さ15mほどの井戸から水中ポンプにより自動的に組み上げ、浄水場に送り飲料用水に利用されていました。 川崎市水道局が発 […]
2019年12月13日 / 最終更新日 : 2020年6月19日 itcom501 I Love Suge Town菅野戸呂5 菅渡船場の碑【12】 JR稲田堤から近い多摩川べりに建つ菅渡船場の碑。多摩川最後の渡しとして残っていましたが、昭和48年(1973)に姿を消しました。菅町会では廃止を惜しんで石碑を建てました。渡船場にあった昭和4年(1929)に建造の船頭小屋 […]
2019年12月6日 / 最終更新日 : 2020年6月19日 itcom501 I Love Suge Town菅野戸呂3・4 菅の渡し辺り【10・11】 多摩川には橋がなかったので川を渡るのは渡し船でした。江戸時代から利用されていた「矢野口の渡し」は明治末期に川の流路が変わったため、 場所を「たとうさま」のある辺りに移動し、「上菅の渡し」と呼び変えられました。下菅には明治 […]
2019年11月29日 / 最終更新日 : 2020年6月19日 itcom501 I Love Suge Town菅野戸呂2 たとうさま【9】 野戸呂は多摩川の洪水の被害にあっていたので、明治43年(1910)の大洪水があったのを機に、堤防近くに土俵小屋を建て古い俵を備えておき、いざという時には俵に土をつめて、堤防を補強できるようにしました。その小屋の近くには水 […]
2019年11月22日 / 最終更新日 : 2020年6月19日 itcom501 I Love Suge Town菅野戸呂1 屋敷の石垣【8】 8話目からは「野戸呂」をお散歩します。 野戸呂のトロとは川の流域によくある地名で、川の流れがゆるく淀んだところという意。 万治2年(1659)の洪水までは多摩川の北側にあった野戸呂が、洪水により土地が流され川の流路が北に […]
2019年11月15日 / 最終更新日 : 2020年6月19日 itcom501 I Love Suge Town菅7 中野島用水【7】 菅7 中野島用水【7】 大丸用水の菅堀から分流した北堀(中野島用水)は、多摩川堤防近く菅6丁目の住宅沿いを東進します。石垣に囲まれた水路には擬木コンクリート製の橋が架かり、水路沿いに植えられた草木と和やかな風景を形成して […]
2019年11月9日 / 最終更新日 : 2020年6月19日 itcom501 I Love Suge Town菅6 芝間住宅【6】 菅6 芝間住宅【6】 菅1丁目から6丁目の大部分は、以前は芝間耕地という地名でした。芝間とは草や芝を刈り取る土地、もしくは開墾できる可能性のある土地の意味です。 菅6丁目にある市営芝間住宅は、川崎市が昭和33年 (195 […]