菅北浦5 法泉寺【36】

法泉寺は稲毛三郎重成が亡妻の供養のため建立した極楽寺を起源とするといわれます。室町時代の天文2年(てんぶん・1533)に小田原北条氏・家臣の佐保田山城守某が僧存心を迎えて再興、極楽寺と法泉寺を合わせて一院としたと言います。
明治32年(1899)に住職の浮丘堯文(ふきゅうぎょうぶん)が成志学校という私立学校を設立しました。
極楽寺のお堂の一つとして建てられた菅薬師堂(菅北浦1 菅薬師堂【32】参照)は、戦乱で極楽寺が焼失した後は、この法泉寺が管理しています。

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