菅北浦1 菅薬師堂【32】

第32話からは、菅北浦の紹介です。
北浦という地名の由来は多摩丘陵の北側にあたるとか、北を向いた浦だったからと言われます。浦というのは川や海の浦以外に平地の湾曲して入り込んだところという意味もあります。現在の菅北浦は以前の北浦耕地、馬場耕地、北浦谷(きたうらやと)、小谷(こやと)からなります。

「薬師堂」は、この地域の領主であった稲毛三郎重成が建久6年(1195)に建立しました。重成は鎌倉時代初めの武将で、源頼朝の平家との戦さで数々の武功がありました。頼朝からの信頼はあつく、頼朝の妻・政子の妹君の綾子を重成は妻にもらいます。将軍・頼朝と義兄弟になった重成はいよいよ主君につくしますが、建久6年(1195)に妻は亡くなりました。悲嘆にくれた重成は出家して、菅に極楽寺という寺を建てて妻を手厚く葬りました。この寺の一部が「薬師堂」といわれます。その後、極楽寺は戦乱で焼失しますが天文2年(1533)に極楽寺と法泉寺が合併されました。今は法泉寺が管理しています。