菅2-八雲神社【2】

菅2-八雲神社
江戸時代に疫病が流行ったため、芝間耕地にあった福泉寺の境内に創建された天王社は、福泉寺廃寺後は独立し天王社として上菅地区の鎮守となります。明治元年の神仏分離令により八雲神社と名を変えます。八雲神社は今でも天王様と呼ばれ、天王は厄病除けの神とされる牛頭天王の略称です。菅の学校の始まりである寺子屋天真堂は、ここ天王社で原田図書という習字の先生が開きました。また菅小学校も八雲神社にあった「菅学舎」が始まりです。

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