菅のトリビア【36】撤去された稲田水源地(菅稲田堤)

36.撤去された稲田水源地

多摩沿線道路沿いの上河原堰(かみがわらぜき)の近くにあった円筒形の建物は、昭和14(1939)年に建てられた川崎市水道局の取水施設で「稲田水源地ポンプ場」と呼ばれていました。 「稲田水源地」は多摩川の川床に取水埋管を敷設して川の伏流水を汲み上げる施設で、1日当たり最大33,300を取水し、汲み上げた水は生田浄水場にポンプで送水して市民の飲料水として使われていましたが、昭和56(1981)年に運転を停止して以降は使用されていませんでした。昭和13年に生田浄水場、翌年、稲田水源地が完成し近代的な水道施設でき、さらに昭和15 ~18年には菅地区に6ヶ所のさく井が掘られ、菅地区は川崎市の水道事業を支えていました。そのシンボル的な存在の稲田水源地ポンプ場も令和6(2024)年に撤去されてしまいました。