菅のトリビア【51】宝篋印塔(ほうきょういんとう)(菅馬場)

51.宝篋印塔(ほうきょういんとう)
仏塔の一種で、宝篋印陀羅尼(ほうきょういんだらに)という呪文を収めた経塔を宝篋印塔と言います。これを礼拝することで罪障が消滅し、苦を免れ、長寿を得ると信仰されました。方形の基礎・塔身の上に段形の屋根をのせ、その蓋の上に相輪を立てます。蓋の四隅に隅飾り突起がついているのが特徴です。呪文の有無にかかわらず宝篋印塔と呼びます。日本では原始宝篋印塔と称されるものは飛鳥時代まで遡り、鎌倉期には石造のものが盛んに造られ、後に供養塔、墓碑として建てられました。馬場3丁目の女子大近くの墓地にある宝篋印塔は、菅地区ではもっとも古い暮石で佐保田宗家の墓所に2基並び、右が慶安元年(1648)、左が寛文4年(1664)に建てられたものです。同墓地の宇津木家墓所には光背地蔵尊が数体並び、古くは慶安2年(1649)のものがあります。

