菅のトリビア【43】石橋五橋供養塔(菅)

43.石橋五橋供養塔

天明5年(1785)、菅2丁目の平山家の先祖・金右衛門さんが、指月橋から野戸呂の多摩川堤に向かう道路の堀の橋を、私財を投じて石橋に架け替えました。昔の橋は板橋か土橋たったので、大雨が降ると堀の水量よリも、三沢川や多摩川の氾濫で橋が壊れたリ、流されてしまいました。しばしば発生する洪水時に、人の生死にかかわる橋には霊魂が宿ると考えられていました。石橋を架ける時には付随して石橋供養塔が建てられました。橋の安泰と通行人の安全を祈願して奉造年と願主の銘が入れられます。石橋を渡って疫病や災いが入リ込むのを防ぐ意味もあリました。元々は庚申橋際にありましたが、後世になり道路拡張の時、リャカーに積み自家に運び屋敷の門を入ってすぐの場所に安置しました。

石橋五橋供養塔