菅のトリビア【42】屋敷の石垣(菅野戸呂)

42.屋敷の石垣
昔、野戸呂地区は多摩川の堤防が決壊したり越水して水に浸かりました。野戸呂の住民は屋敷全体を土盛りして周囲より土地を高くして、その高台に家を建て、屋敷周りに河原の玉石で石垣を築き、その上に茶や南天の生垣を植えて、洪水時に水の侵入を防いでいました。江戸時代から明治時代までは多摩川の護岸や堤防が整備されておらず、大雨が振るために冠水していましたが、大正3年(1914)の洪水で、多摩川に築堤を求める川崎の住民が神奈川県庁に押し寄せた「アミガサ事件」がきっかけで、本格的な改修工事が始まり、昭和8年(1933)に終了してからは大きな水害には遭遇していません。一部分ですが残っている石垣が水防の歴史を物語っています。
