菅のトリビア【3】 清水川(菅城下)
3.清水川
江戸時代初期に造られた大丸用水は稲城市大丸の「一の山下」で多摩川から取水し、分量樋で菅堀と大堀に分流します。北側の流路の菅堀は蛇行し流れ、樋口(とよぐち)で菅に入り菅の田畑を潤し、さらに下流の村々に流れます。南側の流路が大堀で大丸村南部、長沼村、矢野ロ村を流れて、城下地区に入り三沢川に合流します。矢野口村で湧水を水源とする池(清水池)からの細流と合流するので、清水川と呼ばれるようになりました。清水の川と合流して間も無く菅に入るので、水は澄み、水温は低く、清水川という名前にふさわしい用水でした。現在では城下に入るとすぐ菅中学校の下を暗渠で流れ、菅中学校の東で昔の面影のある小川に戻ります。城下地区を縦断して三沢川に放流しています。(右は菅中に入る清水川)