菅のトリビア【60】西菅団地(菅仙谷・菅北浦・菅馬場)

60.西菅団地

旧日本住宅公団は昭和45年に西菅団地の開発計画を発表。同47年の造成工事が始まる直前に、郷土史研究員で菅小学校の東原先生が生徒たちと共に区域内を調査し、3地区に遺構・遺物の存在を確認しました。一部の遺構で工事が進行していたため、直ちに工事は中止され二つの調査団が調査した結果、今から6000~ 3000年前の縄文前期から中期の竪穴住居跡や多数の土壙(穴)、石器、土器などが検出されました。これを「西菅遺跡」と呼びます。菅の農家では昔から山間部で畑耕作のできる地域を、傾斜地には薪炭用の落葉樹の林を作り利用していたので、今回は利用されにくい地形の部分のみの検出でした。遺跡が丘陵部全体に分布していた可能性は否めません。(白黒画像は遺構のあった現南菅小辺り)
(画像は西菅遺跡発掘調査報告書よリ)

住居跡遺構と出土の土器・石器