菅のトリビア【56】市道(京王稲田堤駅前通り)

56.市道
昔、菅の人達は登戸に買い物を行くにも。役場に行くにも、府中街道の裏道にあたる「市道」を利用しました。
高等小学校が登戸小学校に併設されていたので、高等科の生徒はみな市道を使って通学していました。府中街道から分岐する、現在の京王稲田堤駅前通りの「市道」を観光道路を横切り、南武線の南側を線路沿いに下島へ、中野島通りを渡ると、中野島ではその道を「大道」と呼ばれていました。
三沢川を通すため、その付近は市道が分断されました。府中街道から観光道路までの、現在の京王稲田堤通りの市道部分は、両側が田んほで市道から出入りする人家はありませんでした。
駅のある場所の田んぽでは小正月の南天宿の「せえの神」が毎年行われていました。ある年、火のついたヤグラが電話線に倒れかかり、電話線が熱で溶けたことがありました。

