菅のトリビア【52】屋号「鷹の巣」(菅仙谷)

52.屋号「鷹の巣」
三代将軍徳川家光のころ。稲毛や川崎領の各地に将軍家の御猟場が設けられました。お鷹狩りは毎年秋から冬にかけ行われ、菅村をはじめ指定された村々では、年貢、助郷役と合わせて、鷹の餌の上納や人夫役の提出、鷹匠の接待などのほか、野鳥保護が義務づけられていました。白鳥(白鷺)や鴨などの野鳥を将軍の御用とするので、追い払ったりおどしてはいけないとの事でした。農民にしてみれば年貢に苦しめられながら、作った作物が野鳥に食われるのを黙って見てろというのは堪え難いことでした。小沢城址の遊歩道に「屋号の物語」の案内板があり、その先の家が鷹匠の定宿だったといわれる、屋号「鷹の巣」の小嶋家です。稲田堤には「鷹匠橋」と呼ばれた橋もありました。
(画像は小沢峰の中央に入り込んだ「鷹の巣」屋号の家)

