菅のトリビア【45】八王子道(はちおうじみち・府中街道)

45.八王子道

多摩川が北に移動した後の荒れ地を開拓していくつかの集落ができると、それらを結ぶ道が作られます。元禄元年に野戸呂取水口からニケ領用水ができると、百村川(三沢川)を用水に流入させる難工事を行い、大橋場に百村橋を完成させました。宝永年間(1704~7)には上菅生村境土淵の馬場から、西の矢野口村境の樋口までの道路が貫通しています。現在では「府中街道」と呼んでいますが、矢野口、南多摩、高幡不動、平山を通れば、川を渡らず八王子に通じたので、この道は八王子道(はちおうじみち)と呼んでいました。江戸幕府を守るための政策として、江戸近辺の河川には橋を架けさせなかったからです。八王子道の完成の頃、東西の村境を起点として約6丁(約650m)の間隔で六地蔵を勧進したといいます。(画像は八王子道の銘がある道標:馬場1丁目)

寛保元年の菅村絵図より