菅のトリビア【37】菅の獅子舞はいつから? (菅北浦)

37.菅の獅子舞はいつから?

菅の獅子舞は由来について、菅の佐保田家に伝わる古文書「薬師堂縁起」によると、文治3年(1187)にこの地の領主、稲毛三郎重成が薬師堂を建立したとき、児童に獅子舞を踊らせた事が書かれています。
しかし菅の獅子舞の形式・一人立ち三人獅子舞は神奈川県を南限に東日本に広く分布し、文献や絵画などに登場するのが江戸時代初期からなので、菅の獅子舞の発祥もその時代以降に舞われ始めたと推察できます。宮前区の菅生神社で舞われる初山の獅子舞では江戸時代初期の獅子頭が保存されています。明和8年(1771)の古文書に、菅村の人々が毎年虫風祭りとして行っていた獅子角カ踊りが12年前から停止されていたので復活させて欲しいと願い出た記録があるので、宝暦9年 (1759)以前には舞われていたと推察できます。宝暦年間には疫病流行や天候不順で凶作が続いたため、祭り事が中止させられた期間があります。(画像は江戸初期の初山の獅子頭)