菅のトリビア【28】寺尾城(菅馬場)

28.寺尾城

多摩丘陵の舌状台地の北側末端部、「菅馬場谷特別緑地保全地区」には寺尾若狭守によって築かれた寺尾城の遺構が残されている。城主の寺尾若狭守は後北条氏に仕えて以降、諏訪三河守を名乗ったと言われるが定かではない。横浜市鶴見区馬場3丁目に同じく諏訪氏が城主である「寺尾城」が存在し、混同を避けるため「菅寺尾城」と読み分けられている。菅寺尾城の後に鶴見の寺尾城に移り住んだか、寺尾城には五代(約140年間)居城し、武田信玄が小田原城を攻めた際に廃城になったと思われる。あるいは菅寺尾城の城主の寺尾若狭守は諏訪氏の先祖かもしれない。菅寺尾城には曲輪(くるわ)跡と見られる削平地のほか、遊歩道として使われている空堀と土塁が残存する。馬場の地名は菅寺尾城の馬場があったという説もある。(下の画像は寺尾城の空堀跡とみられる遊歩道)