菅のトリビア【24】天神下堀(菅城下)

24.天神下堀

「菅城下」の地名は小沢城の直下にあることに由来します。小沢城のある丘陵続きには穴澤天神社(稲城市)があり、城下でも穴澤天神の下に位置する周辺を天神下といいました。稲城市大丸の「一の山下」で多摩川から取水された大丸用水は分量樋で、大丸村用の用水と他村用の用水に分けるため付設された樋で、堀幅は大丸用水用1に対し、他村用2の割に分けられました。大丸用の用水路は大丸村の南部を潤したのち、長沼村、矢野口村を流れ、その最南端は久保堀、切万堀と名を変え、菅に入ると天神下堀になります。多摩川の流路が変わったとき、上流から肥沃な土砂が堆積され、天神下は稲の収穫量が多い地域でした。天神下堀は三沢川に放流する手前で清水川と合流します。(画像は清水川の三沢川樋門)