菅のトリビア【13】稲田堤で生まれた「丘を越えて」(菅稲田堤)

稲田堤で生まれた「丘を越えて」

昭和4年、明治大学を卒業した古賀政男はマンドリンクラブの後輩たちと稲田堤に花見に出かけました。古賀らは郷里九州の焼酎に砂糖をかき混ぜる方法で、ハラハラとこぼれる桜の花びらをさかなにしこたま飲み、歌い騒いでその日も暮れました。下宿に戻って帽子を脱ぐと、ベルトの尾錠に花びらが一枚張り付いていて、それを見ているうちに昼間の楽しかった情景が蘇り、二度と帰らぬ若さがいとおしくなりました。その時、軽快なマンドリンのメロディーが頭に響き、次から次に面白いように変化していきました。マンドリンを取り上げ楽譜に写した、これがマンドリン合奏曲の「ピクニック」です。
翌年コロンビアに入社した古賀政男が作詞家の島田芳文に作詞を依頼し、藤山一郎の歌で歌謡曲「丘を越えて」が誕生しました。(画像は「丘を越えて」レコードラベルと、古賀政男HPより)

古賀政男