菅のトリビア(1,2)

2025年1月~菅のトリビアの連載がスタートです!
菅の町の色んな「へぇ~!」「そうなのかぁ!」などが飛び出します。
自分たちの町の散歩も、楽しくなること間違いなし!です。

初回特別号として、今回は2話、掲載します。

1 .蘇民将来子孫也(菅・菅北浦)

蘇民将来子孫也

初詣の八雲神社、子之神社で配られる「蘇民(そみん)将来子孫也」のおふだ。蘇民将来は備後国風土記に記された人物で、それを起源に日本各地に伝わる民間信仰になっています。素盞嗚(すさのお)の神が一夜の宿を借りようと弟の巨旦将来(こたんしようらい)に断られ、貧しい兄の蘇民将来に迎えられもてなされました。そのお礼に茅の輪を渡し「蘇民将来の子孫」といって身につけていれば疫病を免れると告げました。間も無く疫病が流行り皆が死んでしまいましたが、その教えを守った蘇民将来の娘は命を救われたといいます。日本各地で素戔嗚などを祀る国津神(くにつかみ)系の神社では「蘇民将来子孫也」のおふだや家門木札を授与して、災厄を払い疫病を除いて福を招くものとの信仰されています。(右は家門木札)

2 .第六天の祠(菅野戸呂)

第六天の祠(ほこら)

野戸呂の水道みち際には天保3年(1832)の石造りの第六天の小さな祠があります。第六天は元々は神仏習合の時代に、第六天魔王(他化自在天)を祀る神社(寺)として創建され、第六天神社、または大六天神社といいました。戦国時代の織田信長があつく信奉し、自ら第六天魔王と名乗っていたといいます。豊臣秀吉は第六天の神威を恐れ、西日本の第六天神社をことごとく廃社したので、江戸時代末期までは武蔵国を中心として、その周辺に多く存在する神社でした。明治元年の神仏分離の際、多くの第六天神社はその社名から、神世七代の第六代神、面足命・惶根命(オモダル・アヤカシコネ)に祭神を変更しました。(下は祠の内部)