菅稲田堤7 二ヶ領用水【48】

慶長2年(1597)、関東六カ国に転封(てんぽう)となった徳川家康は、同じ年に多摩川が大洪水を起こしたことから治水と新田開発に取り組み、用水奉行・小泉次大夫(こいずみ じだゆう)に命じて稲毛領から川崎領に至る用水路を作らせました。それが二ヶ領用水(にかりょうようすい)です。関ヶ原の戦いの3年前に測量を始め、14年の歳月をかけて慶長16年(1611)に完成しました。神奈川県では最も古い全長32kmの人工用水路です。稲毛領37カ村、川崎領23カ村の広範に渡って水路が巡らされ、この地は新田開発が進み「稲毛米」と呼ばれる上質な米を産出しました。

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