菅野戸呂1 屋敷の石垣【8】
8話目からは「野戸呂」をお散歩します。
野戸呂のトロとは川の流域によくある地名で、川の流れがゆるく淀んだところという意。
万治2年(1659)の洪水までは多摩川の北側にあった野戸呂が、洪水により土地が流され川の流路が北に移動し、川の南側に位置するようになったため菅村に属するようになりました。
野戸呂の東南部には、菅4丁目の南天宿に隣接して北天宿があります。
菅野戸呂の1話目は、「屋敷の石垣」です。
野戸呂はしばしば大雨で多摩川が決壊し水に浸かりました。野戸呂の住民は土盛りをして周囲より土地を高くして家を建てました。そして家屋敷の周囲に石を積み石垣を造り、そこにお茶の木や南天の木を植えて、洪水で家が流されないようにしました。
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